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zoom RSS 菅波ひろみ

  作成日時 : 2008/08/14 19:21   >>

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当店荻窪ルースターのレギュラー出演者にものすごく素晴らしいソウルシンガーがいます。
彼女の名前は菅波ひろみといいます。
ところが私と来たら、菅波さんがルースターへ最初にやってきたときの記憶がまったくないのです。
数年前、サックスだけの4人組、QUADRAのライブに飛び入りしたのが最初のはずなのですが、まったく覚えていないのです。

とは言うもののそういう方々は案外います。
レギュラー出演者のお知り合いで1曲歌うとか、弾くとか、そういう人の何パーセントかは私は覚えてないのです。
なぜかと言いますと、忘れてしまった方々には失礼ですが、それだけのインパクトがなかったからです。
私のゲストの定義はメインを食うくらい素晴らしいこと。
それができなければ飛び入りなんて必要なく、レギュラー陣だけでライブをやってもらうほうがよっぽどいいと思っているからです。

というわけで菅波ひろみさんも最初の印象はまったく無いのでした。
ところが、その後、彼女はまた現われたのです。
それはまだ当店が深夜の2時までバータイムを行っていた頃でした。
当時当店で働いていたピアニストのともちゃんが菅波さんを覚えていて、「マスター一緒にセッションしましょうよ」と誘ったのです。

ちょうど閉店時間くらいだったか、お客さんは知った顔だけだったので、「いっちょやりますか」という状況だったと思います。
それによって深夜のルースターで私とともちゃんと菅波さんとでセッションをしたのです。
それは単なる遊びのはずでした。
ところが、「うへー! な、なんだこの感動的な歌声は?」
私は驚きました。
その晩、私は菅波さんがなにか得体の知れぬとんでもない力を持ち合わせている人ではないかと思わされたのです。
聞けば、「福島県のいわき市から来ていて、東京で歌いたいのだけれどもミュージシャンの知り合いもおらず、どうしようかと思っているのです」とのこと。

そこで私は事あるごとに菅波さんにソウル系のミュージシャンというミュージシャンを紹介しまくっていきました。
それにより、まず当店においてはゼブラブラザースという開店当初より出演しているバンドのゲストとして1、2曲歌うことになったのでした。

この頃の菅波さんは歌はゾクゾクするほどうまいけれどもメインとしてルースターのステージに立つには歌ではなくステージングの力量が足りませんでした。

私は小さい虫けらみたいな人間ですから人様のことをどうのと言えるほどではまったくもってございません。
ただ、私がたったひとつだけこだわっているのがルースターのライブにおいてのステージング。
これがルースターの出演基準と言ってもよいくらい、こだわっている部分があるのです。
それを菅波さんはその後、徐々に兼ね備えていったのでした。

それから私は菅波さんの詳しいプロフィールを知ることになります。
実は彼女はこんな方だったのです。

10代の頃、アレサ・フランクリンを聴き影響を受けます。
花屋、編集、看板屋、ウェイトレスなどをしながらいわき市で歌っていましたが24歳の時、音楽出版会社にデモテープを送ったのです。
ところがいつまでたっても連絡はありません。
世は実力派女性シンガーが次々と出始めていました。
おそらく、日本中からデモテープも送られてきていたのでしょう。
歌手はあきらめ、菅波さんは結婚を決めたのでした。
しかし、なぜかその時、連絡が来たのです。
「今さらそんな」。
菅波さんは迷いました。
ところがご主人は「やってみろよ」と言ってくれたのです。
その言葉に後押しされ、菅波さんの東京での歌手生活が始まりました。
しかし、自分の意見も言えず、納得のいかない曲を歌う毎日が続きます。
同時にここでは書けませんが、いろんなことが重なり「もう歌いたくない」とまでに。
プロとしての最初の活動はたった1年間で終わってしまうのです。

いわきに戻った菅波さんは、いわき市内でゴスペル教室の先生となります。
同時に地元で歌うことも続け、市内ではちょっとした有名人に。
その後、2003年にニューオリンズで開催された「リジョイシン・ゴスペルフェスティバル」の会場で歌い。本物に触れて帰国。
「やっぱり東京で自分を試したい」という気持ちが強くなります。
翌年の2004年、「これが最後、もう一度東京で自分の力を試したい」と決意。
またしてもご主人は快く送り出してくれ、半分東京、半分いわきという生活が始まります。
さて東京へ来たものの、ジャズ系ライブハウスのオーディションでは評価は今ひとつでした。
前述のように当店にも飛び入りしますが、ジャズクラブと同じように私の記憶にも残らなかったのです。

ここからは先ほどの真夜中のセッション、ゼブラブラザースへとつながりますが、この期間を経た後、菅波さんの良さを見初めたミュージシャンたちが続々とバックアップしていきます。
そのおかげもあり、普通はちょっとやそっとでは出演できないようなお店に次々に出演が決まっていくのです。
それと同時に菅波さんは多くのミュージシャンからとてつもないほど多くのアドバイスをもらっていきます。
それはもう情報過多というくらいでした。
彼女は何が正しいのかわからないくらいに悩み、歌いました。
しかし、「菅波ひろみの歌を聴きたい」というお客さんはどんどん増えていきます。
それは歌のうまさもさることながら、いわき弁をさらけ出し、等身大、そして全身で歌うその姿と人間性に全員がノックアウトされていたからです。
きっと音楽のテクニックや理論ではなくストレートに心に響くものにやられたのです。私もそのひとりでした。
「感動する。元気になれる」。
まさにそのふたつが菅波ひろみのステージには確実にあったのです。

ライブ数はハンパでなくなり、競演ミュージシャンも大御所と呼ばれる方々が多くなります。
ですが、菅波さんは悩むのです。
「私はこのままじゃいけない」と。

昨年の大晦日のことです。
大晦日のルースターは毎年、年越しライブで満員御礼状態。
そこに「マスター、今年はルースターで年越しするね」と菅波さんがご主人とともにやってきたのです。
私は菅波さんに飛び入りを促しました。
彼女の迫力ある歌声に客席全員大喜び。
アンコールも鳴り止みません。
それはもうこれほどの大きなアンコールがかつてあったでしょうかというくらいでした。
その晩、ご主人は菅波さんに言ったそうです。
「もうちょっと東京でがんばってみなさい」と。

ルースターに初めて飛び入りした日の菅波さんの記憶は私にはもうありません。
しかし、昨年の大晦日の飛び入りはきっと一生忘れることはないと思います。
ぜひ、みなさんも一度、菅波ひろみさんの歌を聴いてみてください。

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